VSランパス100本 (チームとは何か?限界突破の先にあるもの)
2012/08/26
今日の練習メニューはランパス。
選手には本数は提示しなかったが、100本やると決めていた。
ランパスの練習をしようと思ったのは、とあるチームの影響である。
尊敬し熱を感じることができるチームだからこそ、今の早稲田摂陵には必要な練習だと思い真似をした。
ランパス100本に意味があるのか。その答えはわからない。現代の常識から言えば、非常識の部類。この3年間で1度もこのような練習は行ってこなかった。つまり非科学的な練習であり、正直意味がないと感じていた。
現代スポーツ、ラグビーの中であらゆる雑誌や指導者の中で否定されつつある昔ながらの練習、ランパス。しかし、先人たちはこの練習を行っていた。早稲田大学が東伏見に練習拠点を置いていた際、この練習をもっともやっていたのは早稲田大学だと聞いたことがある。それならばそこになんらかのヒントがあるはずだ。そこにあるものを知りたい。
(温故知新)
温故知新とは、昔のことをよく学び、そこから新しい知識や道理を得ること。また、過去の事柄を研究して、現在の事態に対処すること。
ランパスは常識的ではない練習、今更そんな練習は理にかなっていない。しかし、消えつつある中でも未だに消えない理由がそこにはある。
理不尽な練習?そんなことが浮かんでくるが、そこに自分たちが意味を持たせることができれば、どんな練習でも意味をなしてくる。きつい、つらい、効率が悪い、でもそれを達成した先にまだ見えぬ一筋の光を感じ、手に入れることができると思った。早稲田摂陵を一歩高みに連れて行ってくれると確信し、100本ランパスがスタートした。
何気なく始まったランパス。始めの20本が終わり、そのあとにコンタクトフィットネスを挟んで5セット。最初は笑みもあった顔が30、40、50本と続くにつれて次第に険しくなり、自分に負けて声が出なくなる。誰かから発せられるチームへの檄、盛り上げようとするコール。しかし、この声に反応しチームを盛り上げるコールは誰からも続かない。きっと誰かが出してくれるだろうと思っているその心こそ間違っていて、今のチームが大人のチームになれない原因。次のステージ進めない弱さ。全員を奮い立たせようとする声に反応しない彼らの姿は情けなく、自分に負けている姿そのものを表していた。下を向き、きつい顔をしている。そんな顔をしていたら、ますます対戦相手は負けている選手を狙ってくる。そんなチームが勝てるのか?答えは勝てるわけがない。自分からコールを出さない、そして盛り上げようとするコールに反応できないのは最低だ。本当に勝てる集団は、このきつい練習を楽しみ、全員が前を向く集団である。
と、選手がこうなることをコーチ陣は想定していた。当たり前だ。彼らはこのようなきついランメニューをしたことがないからだ。というよりも我々は日本一走り込みをしないチームだろう(笑)
限られた時間と日数の中でランメニューだけを行うのは効率が悪いと感じていた。だから練習を工夫して走るようにしていた。
合宿前から今のチームに足りないものをずっと追い求めていた。いくつかの課題がある中で、すべてに共通していることは走れないからできないということにたどり着く。ここが解消できたときこのチームは可能性が広がると思った。
60本、70本、80本、本数を重ねるにつれて、顔は歪み意識がもうろうとしてくる。本当にきついときの感覚を初体験したはずだ。届きそうで届かないけど、なぜかその苦痛が笑顔に、そして変な感覚に教われてくる。この状態こそコーチ陣が期待していたもの。
しんどいのは当たり前。だけどやりきるしかない。やりきった先にきっと何かがあると思える意識の持ち方。
そしてついにラスト1往復となった。けが人でも走れる選手はすべて参加した。マネージャーも精一杯水を運んでくれた。すべては一つの勝利を目指すためにやっていたこと。
(この100本に意味があるかどうかはわからない。ただ、おれはこれをやり遂げたら必ず勝てると思ってこの練習を与えた。ラスト1往復。1つのボールに魂込めよう。一つのプレーに魂込めよう)
全員で円陣を組み、キャプテン熊澤から熱い言葉が述べられる。
そして、全員で(北風)を大声で歌った。すべての舞台は整い、全員の気持ちは一つにまとまった。
ラスト一本。
一つのボールをキャプテン、マネージャー、選手、けが人がつないだ。
俺たちはやりきった。このきつい練習をどう思うか、どうつなげるかは彼ら次第。
チームとは何か?コールを出すとは何なのか?深く考えさせられる日になったに違いない。
もう泣いても笑っても1ヶ月を切った。後悔だけはしてはいけない。
グランドでやることがないと思える毎日を過ごそう。素晴らしい1日だった。
これからも早稲田BIG BANG!!!!!!!!!
選手には本数は提示しなかったが、100本やると決めていた。
ランパスの練習をしようと思ったのは、とあるチームの影響である。
尊敬し熱を感じることができるチームだからこそ、今の早稲田摂陵には必要な練習だと思い真似をした。
ランパス100本に意味があるのか。その答えはわからない。現代の常識から言えば、非常識の部類。この3年間で1度もこのような練習は行ってこなかった。つまり非科学的な練習であり、正直意味がないと感じていた。
現代スポーツ、ラグビーの中であらゆる雑誌や指導者の中で否定されつつある昔ながらの練習、ランパス。しかし、先人たちはこの練習を行っていた。早稲田大学が東伏見に練習拠点を置いていた際、この練習をもっともやっていたのは早稲田大学だと聞いたことがある。それならばそこになんらかのヒントがあるはずだ。そこにあるものを知りたい。
(温故知新)
温故知新とは、昔のことをよく学び、そこから新しい知識や道理を得ること。また、過去の事柄を研究して、現在の事態に対処すること。
ランパスは常識的ではない練習、今更そんな練習は理にかなっていない。しかし、消えつつある中でも未だに消えない理由がそこにはある。
理不尽な練習?そんなことが浮かんでくるが、そこに自分たちが意味を持たせることができれば、どんな練習でも意味をなしてくる。きつい、つらい、効率が悪い、でもそれを達成した先にまだ見えぬ一筋の光を感じ、手に入れることができると思った。早稲田摂陵を一歩高みに連れて行ってくれると確信し、100本ランパスがスタートした。
何気なく始まったランパス。始めの20本が終わり、そのあとにコンタクトフィットネスを挟んで5セット。最初は笑みもあった顔が30、40、50本と続くにつれて次第に険しくなり、自分に負けて声が出なくなる。誰かから発せられるチームへの檄、盛り上げようとするコール。しかし、この声に反応しチームを盛り上げるコールは誰からも続かない。きっと誰かが出してくれるだろうと思っているその心こそ間違っていて、今のチームが大人のチームになれない原因。次のステージ進めない弱さ。全員を奮い立たせようとする声に反応しない彼らの姿は情けなく、自分に負けている姿そのものを表していた。下を向き、きつい顔をしている。そんな顔をしていたら、ますます対戦相手は負けている選手を狙ってくる。そんなチームが勝てるのか?答えは勝てるわけがない。自分からコールを出さない、そして盛り上げようとするコールに反応できないのは最低だ。本当に勝てる集団は、このきつい練習を楽しみ、全員が前を向く集団である。
と、選手がこうなることをコーチ陣は想定していた。当たり前だ。彼らはこのようなきついランメニューをしたことがないからだ。というよりも我々は日本一走り込みをしないチームだろう(笑)
限られた時間と日数の中でランメニューだけを行うのは効率が悪いと感じていた。だから練習を工夫して走るようにしていた。
合宿前から今のチームに足りないものをずっと追い求めていた。いくつかの課題がある中で、すべてに共通していることは走れないからできないということにたどり着く。ここが解消できたときこのチームは可能性が広がると思った。
60本、70本、80本、本数を重ねるにつれて、顔は歪み意識がもうろうとしてくる。本当にきついときの感覚を初体験したはずだ。届きそうで届かないけど、なぜかその苦痛が笑顔に、そして変な感覚に教われてくる。この状態こそコーチ陣が期待していたもの。
しんどいのは当たり前。だけどやりきるしかない。やりきった先にきっと何かがあると思える意識の持ち方。
そしてついにラスト1往復となった。けが人でも走れる選手はすべて参加した。マネージャーも精一杯水を運んでくれた。すべては一つの勝利を目指すためにやっていたこと。
(この100本に意味があるかどうかはわからない。ただ、おれはこれをやり遂げたら必ず勝てると思ってこの練習を与えた。ラスト1往復。1つのボールに魂込めよう。一つのプレーに魂込めよう)
全員で円陣を組み、キャプテン熊澤から熱い言葉が述べられる。
そして、全員で(北風)を大声で歌った。すべての舞台は整い、全員の気持ちは一つにまとまった。
ラスト一本。
一つのボールをキャプテン、マネージャー、選手、けが人がつないだ。
俺たちはやりきった。このきつい練習をどう思うか、どうつなげるかは彼ら次第。
チームとは何か?コールを出すとは何なのか?深く考えさせられる日になったに違いない。
もう泣いても笑っても1ヶ月を切った。後悔だけはしてはいけない。
グランドでやることがないと思える毎日を過ごそう。素晴らしい1日だった。
これからも早稲田BIG BANG!!!!!!!!!
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