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平田組3年生が語る最後の想い【熱さとは何かを問われた3年間】

2016/11/26

ノーサイドの笛が鳴った瞬間、後悔と悔しさが押し寄せてきた。あの場に立ったからこそ、やはり勝負は勝たなければならないと感じた・・・
優勝した常翔学園の選手達の姿を見れば見るほど。。。。。
表彰式で並ぶ2チーム。光と影。明暗。2位は1位の引き立て役であり、誰の記憶にも残らない。これがスポーツの世界の厳しさ。勝負の厳しさ。
 
次の試合が始まっている中で、観客席から見えないインゴールの一角で主将・平田の絶叫した声が響く。
「これから先どれだけつらいことがあっても俺らがやってきたこと思い出して・・・・・胸張って生きていこう。これからの人生に全力を注いで生きていこう」嗚咽と共に絞り出した言葉が花園第一グランドの片隅で響く。


あの日全部員で見た景色。
それは間違いなく素晴らしかった。18年間生きてきた人生の中で、最高に心揺さぶられる時間だった。
あの舞台に立ち、勝つためだけに費やしてきた日々。
毎日が戦いだった。仲間同士でぶつかり、ときにはチームがバラバラになった。それでも本気で目指していた世界があった。新たな歴史の1ページを開いてきた平田組。時を刻むにつれてチームは一つになっていた。まるでパズルのピースをはめていくか如く。どの1ピースも欠けてはあの場には立てなかった。あの舞台に立つために全てが必要な出来事だった。
問われていた男としての生き方。60分のために3年間の全てを懸ける意味。
純粋に一つの夢に向かっていく姿、そこには曇りひとつない熱い気持ち、感謝、尊敬、仲間、愚直、素直、責任、使命、3年生、そして努力。何度、涙を流しただろうか。最後に荒ぶるを歌うという使命を果たすことはできなかった。
それでもお前らとの3年間は最高に熱かった。ワセダの責任を十分に背負い戦う姿は誇らしかった。3年間ワセダラグビーの文化と伝統を守った。
胸を張れ!そしてこれからも熱く生きろ!お前たちが手にした最高の仲間とこれからも仲良くしろよ。お前らが味わった決勝戦での屈辱。必ず後輩が返す。ありがとう・平田組。
平田組が語る最後の想いとは。






主将・平田瑞貴(CTB)

 まずはじめに、多くの方々にお世話になりました。そのおかげで早稲田摂陵ラグビー部、平田組はここまで来ることができました。本当にありがとうございました。

 常翔学園に負けてから一週間と少し、「心にぽっかりと穴が空いた」こんな言葉がぴったりな気持ちです。今まで感じたことがないような喪失感。これがワセダの名を背負って敗北したということだと今感じています。

 つらく長かった3年間、1年生の時自分のキックで試合に負けた。2年生、副キャプテンとしてチームを引っ張れなかった。そんな経験をする度に、先輩の涙を見る度に、自分の背中に重りがのしかかってくる気がしました。

 そして3年生、キャプテンになって更に多くの重りがのしかかってきました。何度も押しつぶされそうになりながら、こけそうになりながら、死にそうになりながら、何とか耐え切って臨んだ決勝戦。常翔学園相手に、69対7で完敗しました。みんながどう感じたのかわからないけれど、俺は悔しくて、恥ずかしくて仕方なかった。

 勝つことが全てと教わった。その通りだと思う。あれだけ厳しい練習を乗り越えてきたのに、負けてしまえば、まだできることがあった、もっと頑張れた、どうしてもそう考えてしまいます。

 監督、コーチの方々へ。

ここには書ききれないほど大きなことを教わりました。決勝戦の舞台、本当の恩返しをするつもりで挑みました。それでも叶わなかったのは僕たちの実力です。この借りは次の舞台で、それが無理なら一生かけてでも返します。すみませんでした。そして本当にありがとうございました。

 後輩へ。

また君たちにこの早稲田摂陵ラグビー部の重りを背負わせてしまったことを申し訳なく思います。敢えて、ここでは厳しいこと、つらい、苦しいことを書きました。多分これからのラグビー部での日々の中で、いつか何もかも諦めたくなる時がくると思います。そんな時、この文章を読んでもう一度奮い立ってほしい。平田組キャプテンとして最後にしてあげれるのはもうこれだけです。敢えて言います。本気でがんばれ!勝て!

 3年生へ。

3年生のみんなこそが、僕にとってこのラグビー部で努力してきた結晶です。ついてきてくれてありがとう。支えてくれてありがとう。
最後に一言。大好きです笑






 

副将・高木 樹(SO)

自分の3年間を語るに当たって、真っ先に頭に浮かぶのは藤森先生との出会いです。公立受験に失敗して虚になっていた僕に、命を吹き込んでくれた恩師に対する第一印象は、子どものように純粋な眼をした人だな、というものでした。しかし、その眼は溢れ出る熱意を、そして勝利への果てしない渇望を宿していて、僕はその眼差に抗うことなく引き込まれていきました。そうして始まった早稲田摂陵ラグビー部での僕の物語は順風満帆!、、、とはいかず、多くの壁にぶち当たることになりました。しかし、今思えばその壁を一つ一つ破る度に、人間としてラガーマンとして大きく成長できたと思います。一番の成長は人を引っ張る立場になろうと意識するようになったことだと思います。その意識を持つようになったのは、藤森先生の熱意のおかげであり、同期の皆の自主性のなさのおかげ?です。今はこうやって冗談にするくらいですが、現役のときは何度も本気で腹が立ちました。罵倒の限りを尽くし、怒りの余り涙したこともあります。でも、大会前にケガ人から復帰したときグランドにいたのは、頼りになる漢達でした。特にみずきは本物のキャプテンになっていたように感じました。グランドの中心でチームを鼓舞し、先頭を切ってプレーする。それに負けじと周りの3年生がついていく。そんな姿を見て、僕はあたえられた仕事の1つを成し遂げた気がしました。復帰してから同期に腹が立ったことが一回だけあります。決勝の最後のプレーでスクラムにしようと言った時に、拒否しようとしたことは、つい血管が切れそうになりましたが、すぐに受け入れてくれたので、TVで暴言が流れることは免れました。結局トライを獲ることはできませんでしたが、ゴールラインに向かって突き進む仲間の姿は、最高にカッコよかったと思います。皆で歌えなかった荒ぶるにはみずきと一緒にもう一度挑んできます。

僕が3年間で学んだことは大きく2つあります。1つは本気で物事に取り組むことの大切さです。ラグビーだけでなく何事にも、人に対しても本気で。本気には厳しさが伴います。自分に対しても、仲間に対しても。人に厳しく、自分に厳しく。これは自分のモットーでもあります。人に厳しくしたり、怒ることは怖いです。嫌われるかもしれないです。悪口を言われるかもしれないです。そんな不安に襲われます。僕は人に厳しくすることは優しくすることよりも難しいと思います。確かに優しさは愛です。しかし、厳しさも愛です。そして、怒りこそ本当の愛です。コーチに怒られてすごく腹が立ったこともありますが、今はそれが愛だとわかります。僕が仲間に厳しくできたのも、皆のことが大好きだったから、そしていつかそれをわかってくれるだろうと思っていたからです。だから、何事にも、そして誰に対しても、本気でぶつかっていくことが大切なんだと理解することができました。

もう1つはありきたりですが、感謝することの大切さです。これは岩澤先生もよく仰っていらしたことです。決勝の舞台に立ったとき、自分達を応援してくれる沢山の人に勇気をもらいました。どれだけ点差をつけられても最後まで戦えたのは、多くの声援に後押しされたからだと思います。人は辛いことに出会ったとき、自分が孤独であるように感じます。でも、そんなときでも周りを見れば誰かが自分を支えてくれているはずです。そういう人達に感謝することなくしては、何事も成し遂げることはできないと思います。僕には今、感謝を伝えたい人が大勢います。辛いときも楽しいときも一緒に過ごして、どんなに厳しくしても最後まで慕ってくれた平田組の皆に感謝を。僕の、そして平田組のラグビーを決勝で戦えるレベルに成長させてくれたコーチの方々に感謝を。会うことは少なくなってもお互い心配し合って、支え合った地元の親友に感謝を。僕にいつも勇気をくれて、しんどい身体で試合に足を運んでくれた祖父母に感謝を。祖父母とともに応援にかけつけて、熱く励ましてくれた叔父に感謝を。島根にいて、自分も大変なはずなのに、試合の度に激励してくれ、背中で引っ張ってくれる従兄弟に感謝を。18年間支え合って生きてきて、僕のことを溺愛しすぎてるけど、強く生きるということを僕に教えてくれる、信頼する姉に感謝を。厳しい言葉で僕から甘さを取り除いてくれて、いつも助言をくれ、不器用な愛を注いでくれる父に感謝を。僕のために、そしてチームのために、自分を犠牲にして、平田組を支えてくれて、厳しく優しく僕を育ててくれた母に感謝を。僕に熱く生きるということ、男らしく戦うということ、そして、早稲田というものを教えてくれた恩師に感謝を。

後輩の皆は平田組の先の景色を見れるように頑張ってください。

最後になりましたが、今まで早稲田摂陵ラグビー部を、平田組を応援し、支えてくださった関係者の皆様、本当にありがとうごさいました。



 

副将・井上大介(No8)

僕はこのラグビー部に入って今はとても良かったと思います。思い返すとキツかったことや楽しかったことたくさん思い出します。どちらかというとキツかったことの方が多かったかもしれません。でもあのキツい練習のなかで結果が結びつけられて本当に良かったと思います。聖地花園第一グランドの景色は今でも目に焼き付いています。僕たちのやってきた練習が大阪で一番キツいと思っていました。それでも常翔学園には追いつけませんでした。本当に悔しかったです。この18年間生きてきた中で一番の最高の思い出になりました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。まず、二ノ丸組の先輩方。この先輩達がいなかったら今のFWはこんなに強くなれませんでした。本当にありがとうございました。そして、FWの選手たち。こんな適当な僕にリーダーをつとませてくれて本当にありがとう。それと、一緒についてきてくれてありがとう。

あと、三年生の仲間たち。僕はこんなにいい人に恵まれたことに感謝しています。これ以上の最高の同期はいないと思っています。
そして、コーチの方々。今までラグビーを指導してくれてありがとうございました。優しく時には厳しく接してくれました。とても嬉しかったです。
藤森先生、岩澤先生、廣瀬先生ありがとうございました。藤森先生には反抗的な態度でよく言われてました。あの時は本当にすいませんでした。それでもずっと指導してくれてありがとうございました。ここで教わったことはこれからの人生にもつながっていくと思います。
岩澤先生は僕がどん底に落ち込んでるときの岩澤先生の一言がなければ今の僕はありません。本当にありがとうございました。
廣瀬先生は担任で僕の進路先を一番考えてくれていました。本当にありがとうございました。
僕は最高の高校人生を送ることができました。みんなの支えがあったからです。本当にありがとうございました。
そして、後輩!!
これからもがんばってください!
そして、花園第一グランドで僕たちが歌えなかった「荒ぶる」を歌ってください!!






 

前原伸哉(FB)

この3年間、最高に熱く、充実した3年間を、最高の仲間たちと共に過ごせたことは、これからの人生においても最高の財産になると思います。

  早稲田摂陵との出会いは中学3年間の夏でした。学校の部活動中に廣瀬先生と井上先輩と堤先輩が来てくださったときに驚いたのを今でも覚えてます。
  入学してからのストーリーは話しても話しきれないほど、本当に充実しています。1年生の時の夏合宿のあのしんどさは、本当に、本当に2度と忘れることはないと、自信を持っていえるくらいしんどかったです。でも、2年生の夏合宿も永遠に忘れないと今になってみると、思います。今思えば、あの出来事が分岐点になったりしてたのかなとか…。「3年生になった後の1年間はほんまに早いで。」とよく先輩方が言ってましたが、本当にその通りだと思います。
  始まりはサニックス大会。全国の強豪チームと試合をして壁の高さを知り、新人戦、春大会を迎えることができました。シード決定戦では、勝てなかった。現実を突きつけられたあの瞬間は、後悔のみが付き纏いました。そんな中で、キャプテンの平田瑞貴君が秋大会の抽選会で再び関大北陽を引いたときはさすがに鳥肌が立ちました。
  準決勝vs関大北陽に勝利し花園決勝に進出が決まった瞬間は、どんな気持ちだったかは全く覚えてないくらい舞い上がってました。そして、ラガーマンの聖地花園に立つことができたとき、同じ地球とは思えないくらい神々しく輝いている地面や観客席がありました。その舞台での60分間は夢のようにすぐに過ぎていき、描いていた夢は儚く散ってしまいました。
  でも、この3年間花園という目標に向かってひたすらにラグビーをし続けたことを後悔してません。そして1つの目標に向かって一丸となって突き進める仲間をもったこと本当に誇りに思います。この早稲田摂陵での3年間、平田組での1年間、花園での60分間、絶対に忘れません!
  最後になりましたが、3年間僕たち生徒のために貴重な時間を費やして下さった藤森先生、廣瀬先生、岩澤先生、森さんや津金さん、庄村さんをはじめとするコーチの方々、そして応援して下さった保護者・OBの方々、学校の関係者の方々、本当にありがとうございました。先生やコーチの熱血で厳しい指導、保護者の方々の声援がなければ絶対にここまでこれまんでした。本当にありがとうございました。




小林優斗(PR)


自分の14年間のラグビー人生史上、この3年間は最高に熱い3年間でした。一年の時、中学の12人制から高校の15人制になって分からないことだらけで毎日ミスして毎日怒られて毎日迷惑をかけていました。その上、練習も厳しくてついて行くのが精一杯な毎日を過ごしていました。そしてそれが段々嫌になって辞めたいと思うようになっていた時期もありました。でも先輩方の熱のこもったプレーを見て僕もこんな風に誰かに熱を伝えられるプレーをしたいと思うようになり、辞めたいという想いはなくなっていました。
そして二年になって、二ノ丸組の複数の試合でスローミスを連発してしまいました。自主練もしていたのに及ばなかった、自分に甘かった、そんなことが積み重なって自分自身が嫌になっていました。三年間で最も最悪な時期でした。そして淀川工科戦でも自分のスローミスのせいで二ノ丸組の先輩方に多大なる迷惑をかけて引退の一歩手前まで行かせてしまいました。自分には大きな責任がのしかかっているというのに先輩方に頼ってばかりで自分では何もできない、甘えてしまっている。このようなことに気づいた一年でした。
そして三年になって最上級生としての色々な責任がのしかかる中、さらに責任がのしかかるウエイトリーダーに選ばました。体重やウエイトの事で同期の仲間と意見が一致せず、何度もぶつかり合うこともありました。厳しい事を言えば厳しい言葉が返ってきてメンタル弱の僕にとって非常に辛かったです。でもそのお陰で少しずつメンタルが強くなって動じない自分の意志を持てるようになるまで成長できました。だから今はウエイトリーダーになれて良かったと思っています。
この3年間しんどいこと、辛いこと、苦しいこと、色々ありました。でもその全てが楽しかったです!なぜなら平田組だったから。
平田組が一年の頃から掲げてきた『日本一』の目標には届きませんでしたが最高の仲間と最高の舞台で最後まで共に闘えたことを誇りに思います。
この最高の仲間こそが僕が三年間の内で手に入れた物の中で最も大きく、最も大切な宝です。
そしてこの三年間をこんなにも熱く過ごせたのは藤森先生をはじめとするコーチの方々と応援してくれる全ての方々、最高の同期の仲間がいてくれたからです。本当に心の底から感謝してます。三年間本当にありがとうございました。




冨田 裕介(HO)


僕はこの最高の仲間と花園でプレーができたことを誇りに思います。
僕が入学した頃は、花園なんてただの夢でしかなく、正直あのグランドに立ってプレーが出来るなんて思ってもいませんでした。1年の頃は中学ラグビーと高校ラグビーの違いに圧倒され、ただ必死になってラグビーをしていました。夢だった花園が見えてきたのは2年のニノ丸組になってからでした。それは春の大会でCシードを獲得し花園第二で試合をした時からです。この試合後、残り半年の頑張りで花園に行けるかもしれないと思いました。だけど、結果は準決勝敗退。先輩達と花園に行くことは出来ませんでした。ニノ丸組から平田組へ代がかわり、サニックスや新人戦を経て、このまま頑張れば秋には花園に行けるかもと思っていました。だけど、その考えは甘く春の大会で関大北陽とあたり、僅差で負けてしまいBシードを獲得することが出来なかったのですが、みずきのくじ運もあり、秋の大会でもう1度関大北陽とあたることになり、秋では僅差で勝つことが出来ました。大阪予選決勝進出。舞台は花園、相手は常翔、本当に嬉しかったです。そして、11/13、僕達は負けて引退しました。結果は大きく点差をつけられボロ負けでした。だけどその時は負けて悔しかったけど、それ以上にこの仲間とこの舞台に立ち全力を尽くせたことが嬉しかったです。
この仲間に出会えて本当に幸せでした。
ありがとう!!
最後にここまで来れたのは僕達選手だけの力ではなく、マネージャーやコーチ陣の方々、保護者の方や応援に来てくれた人、そして藤森先生がいたからです。本当に三年間ありがとうございました。



 

辰見 俊明(LO)

今思えば、三年間辛く長い三年間だった、でもこんなに熱く激しく充実した三年間は今後の人生で二度と経験できないかもしれない大切な思い出になったことは間違いないということは断言できる。
入部したての頃は「なんでこんな部活はいったんや」と数えきれないくらい思った、だがラグビーをやってくににつれて花園を追い求めるようになっていった。
三年生になってからは打倒関大北陽を掲げ努力した。
そして関大北陽に勝利しこの最高の仲間たちと花園第一グランドに立ったときが自分の17年間の人生の中で一番幸せだった。
そして常翔学園と戦い負けてしまった。悔しかった言葉では言い表せないくらい悔しかった。だが決して満足しているわけではないがこの仲間と花園第一グランドに立って試合をしたことは僕にとって人生最大の誇りだと思います。後輩たちには僕達の見れなかった景色を見れるように頑張ってほしいです。心から応援しています。
そして藤森先生はじめ僕たちを支えてくださったすべての人に感謝しています。三年間僕はラグビーをすることができとても幸せでした。今までありがとうございました。




 

田崎清文(FL)

3月25日
初めてこのグランドにやってきました。そして自分の目に野球より輝くものをグランドで見てしまいました。入学式が終わり、担任の先生の話
あのHRは今でも忘れません。前に座っていた爽やかイケメンからの勧誘。
そしてこの部活に入り、新歓で言ってしまいました。
「この仲間と…」
その日からの3年間は本当に長く辛かったです。
1年の時は、本当に大変だった。2年の時は、本当にきつかった。3年になってからも苦しかった。そして自分を更に苦しめたのは、けが、ケガ、怪我。結局グランドには3年間の半分しか出ることが出来ませんでした。
そんな3年間だったけれど、花園で見たあの景色が辛かったことを一蹴してくれました。この日のためにやってきたんだと思いました。結果は負けて、活躍も出来なかったけど、3年間の中でもっとも意味があった日だと思います。自分たちがやってきたことにこんなにたくさんの人が応援してくれていたんだと思いました。辛かったけれど、この3年間、多くの事を学びました。ラグビーをやっていたからわかったこと。ワセダだからこそ得れた価値観もあります。これから進んでいく人生でこの3年間は自分の核となっていくと思います。そのことを教えてくれた先生、コーチ、先輩、後輩。そしてたくさんの人に感謝したいと思います。
学校の先生、生徒会、生徒の皆さん
本当にたくさんの声援ありがとうございました。
両親、祖父母
たくさん支えてくれてありがとう。
最後になりますが、あの新歓の日より自信を持ってもう一度言います。
「この仲間と藤森先生を信じて入ってきました」
「色々あったけど、皆を信じて良かった。本当にありがとう!」



前川雄輝(SH)

11月13日僕達の3年間が終わった。
僕は一生あの日の試合終了のホイッスルを忘れない。
中学の頃は、全てにおいて適当でなににも本気になれず、でもそんな自分が嫌だった。そんな時にこのラグビー部のクラブ紹介をみた。
その時に、「この部活ならなにか変われるかもしれない」と思い
入部した。
始めはルールもなんにもわからなくて、1からのスタートだったけど、みんなの部活に対する取り組み方は、とても熱く、全員が同じ目標をおいかけていた。今まで自分がいた環境の中で感じたことがなかった。本気だったからこその勝利の達成感、喜び。本気だったからこその負けた時の悔しさ。この部活に、はいってなかったら一生感じれなかったと思う。毎日のようにきつい練習があり、何度もやめようとしたり、適当にやってしまったことがあったが、昔の自分に比べるとちょっとはマシになったかな、と感じます。人生で1番長い3年間でした。

藤森先生
3年間迷惑ばかりかけて、何度も反抗しすいませんでした。
こんな自分を見捨てず最後も使ってくれた先生にはとても感謝しています。
熱い3年間をありがとうございました。
結婚式の招待状お待ちしてます!!
岩澤先生
岩澤先生の優しさにはいつも助けられました。たまにあるきついメニューも今ではいい思い出です。
津金さん
BKになってからポジ練でいろいろおしえていただきありがとうございました。ココイチ連れてってくれるといっていただいたあの言葉、僕は忘れてないですよ!(笑)
森さん
僕をスクラムハーフにしてくれてありがとうございます。
森さんのおかげで試合にでれました。
本当にありがとうございました。
学生コーチの方々
いつも生意気ですいませんでした。相談にのってもらったり、したのはすごく助かりました。
同期のみんな
この平田組で本当に良かったと思う。みずきやたーきーには特に迷惑をかけました。そしてなにより最後のトライありがとう。
俺が早稲田摂陵で初めて第一でトライとった男になってごめんね(笑)
後輩達
これから何度もつらくてやめたくなることがあると思います。
でも、今を乗り越えた先には乗り越えた人にしか見れない最高の景色がまってます!僕らが叶えれなかった、全国出場を果たして僕らが見たあの景色よりいい景色を見てください!


 

清水大樹(CTB)

平田組3年間お疲れ様でした!
藤森先生、岩澤先生、廣瀬先生、コーチの方々、応援して下さった方々、3年間本当にありがとうございました。
自分自身は、3年間怪我ばかりで練習という練習がほとんど出来ませんでした。それでも、Aチームで出させてもらって本当に感謝しています。この恩は、先生にもコーチにも平田組のみんなにも花園で返しきれなかったので、大学でのラグビーでしっかり返したいと思います。高校で使った病院代も、しっかり大学ラグビーで返して行きたいと思います笑
後輩のみんな! まだ〇〇の練習や、〇〇をさせられるかもしれないけど、1年はあっとゆう間だから、悔いなく練習に取り組んでください!

平田組のみんな!3年間めっちゃ楽しかった! 
初心者の辰見、松永、ターキーを、この部活に誘って正しかったと胸張って言えます笑
この3人は俺のこと大好き過ぎて困ったこともあったけど、俺も大好きです!ターキーが旅行番組を見て、俺と旅行してるところを想像したって聞いた時は、流石に引きました!しゃーないなー。一緒に旅行いこな笑
思い返せば、3年全員での思い出も、個人での思い出もいっぱいあって、思い返すとニヤニヤしてしまいます。それくらい平田組が大好きです! 平田組最高! これからもよろしくね!




松永勇也(LO)

三年間を振り替えると本当にいろいろなことがありました。正直辛いことも沢山ありました。三年間の大半を怪我人として過ごしました。グランドに出ていてもどこか痛みながら出ていることも多々ありました。怪我をする度に辞めたくなりました。母には怪我をして病院に通う時いつも車で送ってもらい、食事も栄養を考えて沢山用意しくれました。お陰で入部時から最大で34キロも増えました。母には本当に迷惑をかけました。迷惑をかけた分必死に頑張ろうとしましたが頑張ろうと思えばその矢先にまた怪我をしました。それでも家族は僕を応援してくれました。最後も怪我をしました。最後までグランドに立って練習することは出来ませんでした。この時本当に心が折れそうになりました。その時も家族は僕を支えてくれました。最後まで諦めずに頑張れたのは本当に家族のお陰です。最後に作ってくれた五分間は僕にとって本当にかけがえのない時間です。チームメイトと藤森先生には感謝してもしきれません。これから先、辛いことや苦しいことがあってもこの三年間を糧に乗り越えて行けます。そして今度は僕が、家族が支えてくれたように誰かを支えれるような人間になります。この三年間でこの部活でしか得られなかったものをたくさん得ることができました。改めて、三年間本当にありがとうございました。





金沢倫太郎(LO)
僕は三年間色々な事を学びました。
入部当初は、いいかげんで適当だった僕を最後まで支えて下さった藤森先生、いい環境で練習をさせてくれたマネージャー、そして一緒にプレーしてくれた選手、そんな全ての人に感謝しています。
この経験を生かし、これからの人生に役立てるように努力します。
三年間ありがとうございました。


 

西條亮(LO)

ラグビーを始めた小学生の頃から合わせると8年間、花園に行くことを夢見て今までやってきました。特に高校3年間、この時間は良い意味でも悪い意味でも濃く、忘れる事のないかけがえのないものになりました。
1年生のとき、経験者のくせにキツイキツイと常に辞めたがっていた自分を3年間一緒にラグビーをさせてくれた同期のみんなには本当に感謝してます。今思うと、本当に情けない話なのですが…笑
2年生になると後輩が入ってきて、自分の中にはかなりの危機感が生まれました。すでに周りに遅れをとっているのに、後輩にも抜かれてはたまらないと、練習の取り組み方にも必死さが少しは増した?と思います笑
秋の大会でも、大阪桐蔭戦ではジャージをもらうこともでき、自分の中に自信が少しずつ出てきました二ノ丸組の先輩方は、そこで引退してしまいましたが、同時に自分達の最後の年が始まりました。
平田組の最初のビッグマッチはサニックスワールドラグビーユース交流大会でした。そこで初めて5番を着ることができ、1年間死ぬ気でやろうと思った初戦で病院送り…
そのまま新人戦決勝の東海大仰星戦、春の大会もリザーブとして、試合には出れませんでした。そんな中迎えた夏合宿もBチームで試合をし、ミズノカップでも良いところを見せることが出来ませんでした。
最後の秋の大会が始まり、同期の松永がケガで出場が難しくなり、初戦でメンバー全員が松永のためにプレーし、自分も一緒に出れた時は本当に嬉しかったです。関大北陽ではジャージを着れなかった分、全員で掴んだ決勝への切符。初の花園で相手は常翔学園、これ以上の相手はいないと、部員全員が気合いを入れて臨みましたが、相手に敵わず負けてしまいました。
試合終了のホイッスルの時は頭が真っ白でしたが、観客席に挨拶に行ったとき、悔しさといろんな人への感謝が溢れるように出てきました。
周りの目に自分がどう映ったかは分かりませんが、何かを真剣に取り組み、熱くなれることを学べたこの3年間本当によかったです!
廣瀬先生、藤森先生、こんな僕を3年間ご指導くださり、本当にありがとうございました!特に藤森先生がいなければ、もっとつまらない3年間になっていました。本当にありがとうございました!
コーチの方々、仕事などで忙しい中、僕たちのために来てくださり、ありがとうございました!
同期のみんな、本当にありがとう!3年間一緒に出来た事、とても誇りに思います!
そして後輩のみんな!絶対全国行ってください!ケガだけはしないように!応援してます!
3年間、本当にありがとうございました!


 

大西八雲(FL)

この3年間、苦しいことばかりでずっと辞めたいと思ってました。
でも、どれだけ辛くてもラグビーが嫌いになれず、ずっと続けていました。
そのおかげで最高の景色を見る事ができ、大切な仲間もできました。
思い返せば、あの時もっと真面目にしておけばよかったと思う事は山ほどあります。
ですが、本当に諦めずに最後まで続けて良かったと思っています。
このラグビー部に入ってよかったです。
3年間ありがとうございました。


 

江見義毅(WTB)

この長い高校三年間のラグビーの時間は11月13日で終わってしまった。あの試合のことをいつまでも忘れることはないと思う。この三年間の全てをかけて戦ったあの試合だったからこそ忘れることはないと思った。この三年間ともに過ごした平田組の仲間たちに感謝しています。

藤森先生
最後まで見捨てずに指導していただいてありがとうございました。三年間ありがとうございました。

岩澤先生
岩澤先生のポジ練はどの練習もWTBとして必要な練習だったと思います。とてもしんどいこともあったけれど、どんな時に使うかわかりやすい練習でした。

後輩へ
これから沢山しんどいことがあると思うけどそのぶん、沢山いいことがあるから最後の最後まで頑張って、この平田組が見れなかった全国の夢を掴んでください。


 

三部穂乃佳(マネージャー)

3年間熱く、濃すぎる高校生活でした。
思い返すと1番に部活を考えることも多く、つらいことも楽しいことも本当にたくさんあるし涙することもあったけど、やっぱり1番はラグビー部だなって感じます。
1年生の頃から期待されてたことで3年間しんどい練習をしてきた日々があったけどそれを乗り越えてきたからこそ11月6日の関大北陽にリベンジができ、11月13日の常翔学園には納得はいかなかったけども1番いい結果を残せたのではないかなと思います。選手のかっこいい姿をみれたことが何よりも嬉しかったです。この日のことは一生忘れられないです。
ラグビー部のマネージャーとして部活に入り、心身共に成長できたこと、そして選手とマネージャー関係なく仲良いい平田組を最後までサポートすることができ、本当に本当に本当によかったです!
コーチの方々や保護者の方々、そしてラグビー部。
本当にありがとうございました!


 

丸山早姫(マネージャー)

このラグビー部に入ったことは、とてもいい経験になり、とても熱い三年間を過ごすことが出来た忘れられない思い出です。
初めはマネージャーは水を運ぶだけだと思っていました。
ですが、毎年毎年学年が上がるにつれて責任感も増え、選手がより良い状態で試合に臨める様にサポートするのもマネージャーの仕事ということに気づきました。自分で考えたことを実行に移すということはとても難しかったです。でも、選手が毎日一生懸命練習しているので私自身も皆が頑張っているのと同じくらい一生懸命やろうと思えました。
私が三年間マネージャーを続けられたのはコーチの方々のおかげだと思っています。藤森先生をはじめ様々なコーチに助けていただきました。
本当にありがとうございました。あと一歩のところで花園には手が届きませんでした。しかし、選手の努力を誰よりも近くで見てきた私たちに悔いはありません。今までの代の思いを背負って次の代に希望を託したいと思います。
コーチの方々、保護者の皆様、選手、そしてマネージャー三年間お世話になりました。ありがとうございました。