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VS関大北陽「届かなかった1m、足りなかった2点。ワセダ、関大北陽の前に屈する」

2016/05/12

ペナルティーの笛が鳴った。残された時間はない。
レフリーから「ノータイム」のコール。
次の笛が鳴れば、試合は終わってしまう。

試合終了までラスト1プレー。ハーフラインで得たペナルティーを早稲田摂陵の15人が選んだのは、スクラムだった。そこから何分が経過しただろうか。会場中が息を飲む展開にプレーをしている選手はもちろんだが、会場にいる観客も手に汗握る状態だった。仕留められるのか、逃げ切れるかの構図は互いの選手を成長さえ、選手の魂を揺さぶった。



試合前から1点を争うゲーム。
「最後の1プレーまでワセダらしく戦おう」と
話していた、まさにそのストーリーがそこにはあった。命運を分ける1プレー。
「JUDGEMENT TIME」
 
アップは最高の雰囲気だった。今までの平田組の中で最も集中し、盛り上げ、観ている人にもこの試合に懸ける想いが伝わってくる迫力があった。
涙ながらにタックルし、試合に出ていく姿に関大北陽との実力差は埋まったはずだ。
2月の練習試合で完敗したゲーム様相ではなく、タイトなゲームになる。そんな闘う男たちの姿と雰囲気を感じ取れた試合前アップ。

最後に北風を歌い、準備は整った。






 
キックオフ直後から関大北陽は強さを見せてきた。15番の選手と8番の選手に幾度となく好プレーをされ、立て続けに2本トライを奪われた。油断はなかったが、相手のほうが場馴れと経験値が高かった。
明らかに浮き足立っている早稲田摂陵を尻目に攻撃の手を緩めない関大北陽。
その状況でゲームのリズムをチームに取り戻していったのは、フロント3の選手たち。味方の選手を使いながらボールを散らし、ラックを連取。奪われた2トライをしっかりと前半28分までに返し、同点で終わるはずだった・・・・・・・・・・



 
残り時間は1分。関大北陽のキックオフ
しかし、ここで痛恨の判断ミス。ラックは22m上にでき、インサイドなのかアウトサイドなのかしっかりと確認できていない状態でキックを蹴ってしまい、カウンターアタックからトライを献上した。ラックは外側にあったように見えたが、
レフリーからのコールは

インサイド

その確認と、コミュニケーションをしなかった9,10番の二人は反省しなければならない。
この日一番緩かったプレーの一つがキックチェイス。その甘さを突かれて、リードされる状態で後半を迎えることになった。この1プレーも勝負を分けた。
 14-21。

後半は完全に早稲田摂陵のペース。ポゼッションは7割で常に敵陣にいる状況だった。しかし、何度も迫ったゴールラインを関大北陽に押し返された。関大北陽の集中力はさすがであった。
それでも後半25分にトライを奪い返したが、キックは外れて2点のビハインドで残り5分。ここでも小さなミスが一つ。端にトライしたマネジメントについては要反省しなければならない。素人が多数いる中で経験者が冷静に判断し、中央に行くようなマネジメントが必要であっただろう。



ラストワンプレーで点差は2点。キック差の2点は、昨年の近大附属戦と同様に今回も早稲田摂陵に重くのしかかった。
だがピッチにいる選手15人、いや全部員と早稲田摂陵を応援してくれている方々は、昨年の7.8位決定戦のラストワンプレーでの大逆転劇と同じようなストーリーを誰もが信じ、思い描いていたに違いない。
 
アップTシャツに書いてある
一つのボールに魂を込めろ。その血の通ったボールが十五人を一つに繋いでゆく
 
にふさわしく、魂を込めたボールをハーフラインから何十回とフェイズを重ね、ジワジワと進めた。「自分」を「自分たちの仲間」をどれだけ信じることができるか、「自分たちが行ってきた練習」をどれだけ出せるのか。本当の意味で試される場面。



1分あればトライを取れる。1点を争うゲームになる。最後の1プレーまで信じよう
 
ハーフタイムで伝えたことがまさに現実に起こる展開に、観ている者は一瞬も目を離せなくなった。
大げさではあるが最後の場面は、我々にとってワールドカップの日本対南アフリカの試合のようだった。この試合は本当に重要だった。
最後のワンプレーで選んだスクラム。フェイズを重ねるワセダは日本代表。それを守る関大北陽は南アフリカ。
ピッチに立った者しかわからない勝負の厳しさを感じる世界観と時間。同時に素晴らしい相手がいることに感謝する場面。関大北陽の選手がいたからこそ成り立った好勝負。



ラストワンプレー。互いの考えが交差する。関大北陽はペナルティーをしないように守り、早稲田摂陵はミスをしないように仕掛けた。その緊張感のある攻防が何分も続いたのである。こんなにもプレッシャーのある場面は人生においてなかなかないだろう。今までの経験でもないだろう。自分のプレーがチームに影響を与えるシーンでこそ初めて学ぶことがたくさんある。「責任」「使命」「義務」「大義」「試練」「全力」etc……..
そんな複雑な感情が混ざり合う、その経験は何事にも代えることができない。

人生における勝負の本質が理解できる場面。お互いのプライドを懸けた戦いに発揮される真の力。
早稲田大学ラグビー蹴球部監督で故・大西先生がおっしゃっていた「頂上経験」の場面がこの瞬間に訪れたのである。
 
以下は「闘争の倫理」の引用である。
 
要するに、自分たちが自己目的々な自由な行動の主体者となってある目標を達成したときに人間はいちばん楽しい。あるいは頂上経験(ピーク・オブ・エクスペリエンス)といいますか、そういう経験を掴むことができる。目的々行動で始めたゲームが、技術、戦法の研究を重ねて、試合をやっていくうちに自己目的々な行動になっていって勝ったときにスポーツの歓喜をつかむ、その時初めてアマチュアリズムが自己目的々なものとして体得されてくるのだろうと思います。Liberal Sport Its Own End!”自由なスポーツそれ自身の目的”を味わうことができるのです。スポーツマンというのは初めに目的々な行動、要するに理論と技術と練習の積み重ねによって目標の勝利に向かって一生懸命やっていく。と同時に試合の中で非合理的な、あるいは情緒的な行動をコントロールしていく。そうして勝利を獲得したときに初めてスポーツというのは単なるゲームで、遊びとしての自由性の中にある歓喜、その中に本当の価値があり人間の価値というものは何もないところからでもつかめるということを実感として体得していく(闘争の倫理引用)
 
そんな人が最も成長する場面で早稲田摂陵の15人はどのような行動や発言や態度をしたのだろうか。観ている者は何を感じたのだろうか。
ラグビーの価値、スポーツの価値が永遠に続く意味がこの場面には散りばめられていた。
 


ジワジワとゲインを切る早稲田摂陵に対して、関大北陽も隙あらばブレイクダウンにプレッシャーを掛けて、ターンオーバーを狙いに来た。だが、互いに譲らない。ギリギリの攻防戦は幾度となくなされた。レフリーの笛が何度か口にもっていかれるようなシーンが見られたが、笛は吹かれなかった。
ペナルティーをすれば早稲田摂陵はPGで逆転できる状態は、関大北陽もプレッシャーだったに違いない。「知と熱」が散りばめられたワンプレーに心は揺さぶられた。
 
そんな中、やはり試合を決めるのはこの男しかいないだろうと誰もが思っていたはずだ。本人もそうであろう。むしろ関大北陽高校もそう思っていただろう。
早稲田摂陵が誇るエース高木は厳しいマークにあいながら、最後のワンプレーでDFラインを抜き去った。目の前に見えるゴールラインまで、あと10m・・・・・・・
絶対なる愛情と信頼」が高木に寄せられていた。高木ならトライを取ってくれる。
 
右手のガッツポーズが途中まで上がっていた。追いすがる関大北陽の選手。
我々のストーリーなら高木がトライを決めて大逆転でBシード権を獲得となるところだが、現実はそうならなかった。
関大北陽11番の選手が素晴らしいバッキングでタックルをし、ゴール寸前1mで早稲田摂陵の夢を打ち砕いた。

 




ノーサイド。19-21.
 
グランドに涙ながらに倒れこむ赤黒戦士達の姿は、この試合の重要性を認識していたから。勝たなければ早稲田摂陵高校ラグビー部の新たな歴史は築かれない。扉に手はかかっていた。しかし、無情にもその扉にかかった手はドアを開けることはなかった。

届かなかった1m。
何が悪かったのか、足りなかったのか。
その1mにあった関大北陽との差異は何だったのだろうか。

 

最後の最後で遅かったサポート。なぜ、ワセダはサポートがいなかったのか。一人でも追い上げていれば状況は違っていたはずなのに。
それよりも関大北陽11番の選手が勤勉にバッキングしていたのを褒めたたえるべきなのか。
ラストワンプレーで負けている状況になったマネジメントを悔やむべきか。
ラストワンプレーで諦めずにゴールラインまで攻め込んだ選手たちを褒めるべきか。
考え方はいろいろある。





しかし、たらればの話をしても意味がない。現実に早稲田摂陵は関大北陽に敗れ、昨年の二ノ丸組のリベンジとこれまでの先輩の期待に応えることができなかった。我々よりも関大北陽は強かったのである。
我々にベクトルを向けた時、初めてこの負けと向き合うことができるだろう。むしろ向き合わなければ成長はない。この1mの差異は何だったのか、この6か月間問い続けなければならない。背負わされた十字架。

なぜ届かなかったのか。
日頃から甘かったのではないか
毎日全力を尽くして練習していたのか
フィットネスでゴールラインをトップスピードで切っていたのか。ラインを越えたのか
胸を張って「実行していました」と言える人間が何人いるのだろうか。
自分と向き合い、日々責任とは何かを問いかけてグランドで体現していた3年生がいたのか。
その場しのぎや間際になって頑張るのは誰でもできる。
そんな無計画なことは求めていない。
我々に必要なのは、自分が最後の試合で本当にチームに対して責任を果たし、ワセダの赤黒ジャージにふさわしいプレーができるのかを考え、練習を自ら進んで行い自立できる人間。

日頃の甘さを見て、楕円球の女神は微笑んでくれなかったのだろう。
誰かの甘さを注意できないのは自分に甘いからである。組織の甘さでもある。
そのようなチームが勝つことをラグビーの神様は許さなかったのだろう。
 
予兆はあった。ケガの影響で最後までメンバーを確定できない日々が続き、練習中からミスが連続していた。そんな雰囲気を打破するのが3年生であるが、グランドにいる3年生を見渡すとそこにある危機感を感じ取ることは出来ていなかった。もちろん数名の選手は感情を表に出し、その危機感を周りに伝えようとしていた。
現にケガを抱えながらもこの試合の重要性を理解し、出場した彼の姿は皆に勇気と希望を与えた。

 

今を生きる
 
いま大切なことは何なのか?目の前に起きる事象とこれから起こる出来事を理解し、「誰の為に、何の為に戦うのか」を理解した男は強い。それぐらい彼の決意はラガーマンとしても男としても尊敬されるべき姿である。
チームの雰囲気をたった一人の人間が責任、使命を示すことでチーム力は確実にアップした。

だが、残念なことにその部分が我々の組織、3年生には足りないのである。
3年生がやらなければ誰がやるのだろうか。自分のことやチーム事情を真摯に捉えられない。目の前に起きていることに真摯に向き合わない。
皆に期待されても心が冷めたそのような3年生がいたことも事実である。
それが1m、2点差だ。
 
 
早稲田摂陵にとって大きな敗戦。
圧倒的な差で負けたならば潔く切り替えられるだろう。
だが、残り1m、2点差。後半は何回もスコアをするチャンスがあった。その何回かのうち1度でもゴールラインを割れば・・・・・・・・・・・・・

その1mの差が天国か地獄かの分かれ際ならば、その現実をしっかりと受け止めるには時間がかかるだろう。それほどまでにこの試合に懸ける想いが強かった。だからこそ、ショックは計り知れない。
我々の3年間は甘かったのだ。甘かった。
その一言だけしか出てこない。
 
 
 

たくさんの応援ありがとうございました。目標としていたBシードを獲得することができませんでした。当日はたくさんのOBや関係者の皆様に来ていただき、大変励みになりました。この経験を無駄にすることなく、這い上がって行きたいと思います。